英雄

悠久ノ風 第11話

第11話 英雄 

――風の導きを

言と共に封印が解かれる。
草薙悠弥は封印の地へ足を踏み出した。

広がる風守の広大な神場。
杜を歩き、鳥居をくぐり抜ける。
社を抜けた先、目の前に神秘の光景が広がった。

風守の奥――誓いの石版と呼ばれる神場。
そこは虚神、そして虚神と共に戦った者達を祀った場所だった。

肌をつたうひんやりとした爽気。
風守の澄んだ空気の中でもそこは一層の清澄さを帯びている。

その広い空間の中心に――小さな石版があった。
本来は虚神の拠点にある石版。
石版は主を待つように静かに鎮座していた。

「…………」

ゆっくりと草薙は石版に近づいた。

石版が陽の光を反射して仄かに輝く。
周囲からは透明な蒼のリアリスが立ち上っていた。

長い時間、この石版が大事に扱われ、安置されてきたことがわかる。

石版には数多の名前が書かれている。
それらの名前を見た時、草薙の胸に風が満ちるような感覚があった。
おそらくそれは想いというもの。

「挙国一致の想念」

草薙の言葉に在る深い響き。石版に刻まれた数々の名前。
その想いで彼らは虚神と共に戦ってきたのだ。
石版を見る。
さながら時の断片。
戦争という激動の残滓のように、静かに石版は佇んでいる。

その石版に向かってゆっくりと、草薙は手をかざした。

「――風よ」

神理の言葉を紡ぐ。

一瞬、空間が揺れた。
次の瞬間、石版から光が放たれる。
光は蒼い風となり神場に吹きすぶ。
「――!!」
草薙の中に蒼い風が流れ込んだ。
止まった時計が再び時を刻み出すような感覚。
力の奔流に耐えるように草薙は踏み留まる。

石版が鳴動する。
リアリスの光りが輝きを増す。、
蒼嵐が空間に波濤を広げた。
「――蒼風よ」
草薙は命じるように風を呼んだ。
その時、風が頭をたれるように勢いを減じる。
荒れ狂う風は徐々に静けさを取り戻していった。
そして、静けさを取り戻した風が草薙へ向かって集束を始める。
蒼い風が草薙の体中を伝っていく。
主の帰還に応える民のように風が草薙を迎えているかのようだった。
蒼風が草薙へ還っていく。

「…………」
覚醒するかのような感覚が草薙にあった。
そして――

「――神風」

神理の名を呼ぶ。

封じられた虚神の神理の欠片。
応えるように石版が光り、そしてゆっくりと消えていった。

蒼生守護の理が草薙の手に還っていく。
草薙は無言で無数の名が刻まれた石版を見た。
(まだ……神風はうてない……か)

別に何が変わったわけでもない。
一つ目的に近づいただけだ。

「ま、やりたいようにやらせてもらうさ」
気負いもてらいも何も無く。
只一言、草薙は呟いた。

そして――

「虚神の神理を一つ……解放しましたか」

神場に声が響いた。
瞬間異音を立てて、碧のリアリスが暴発するように湧出。
碧の光が輪郭を形作っていく。

「お前は……」
草薙はその色を知っていた。
碧の光が人の形をとり、端麗な輪郭を顕わにしていく。

「お久しぶりですね、草薙さん」
表れたのは美しい青年だった。冷たいほどに整った容姿。だが、その印象を
裏切るように、百年来の友のような親しみで草薙に微笑みかける。

「……久しぶりだな、カイリ」

草薙はカイリと呼んだ男の目を見た。
カイリの瞳はなにも映しだされてないように見える。世界を嘲り同時に、友誼を抱いているような瞳。

「この場所でお前と会うのはどうも気が進まないな」
先ほどの言葉通り久しぶりの再会だというのに、草薙に感慨めいたものは見受けられない。あくまで気楽な様子だ。
「これは酷い、私は草薙さんと会うのをいつも楽しみにしているんですがね」
そんな草薙の様子をカイリは嬉しそうにみている。
カイリの視線が蒼い風が収まった草薙の右手にうつった。

「……戦いの準備は十分のようですね」

「んな立派なもんじゃねぇよ。お前こそ元気そうでなによりだ――カイリ・ユダ」

カイリ・キグナス・エイリュダス・ユダ。
草薙が知るだけでも多くの名を持つこの男。
その中で最もカイリの性質を表しているのが「ユダ」だった。

「あはは、草薙さんにそう呼ばれるのも慣れましたよ。草薙さんとも長い付き合いですからね」

多くの名を持ち多くを裏切る。
何処にでもいて何処にもいない。
カイリ・ユダとはそういう男だという事を、草薙は知っていた。
裏切りの名「ユダ」、そしてこの男が『本物』だという事も。
(全くもってろくでもないもんだ)

草薙は嘆息する。
仲間達が集う場所で会うのがこのカイリであるという事実は自分がロクデナシだという事を自覚するには十分だった。

「この風守で起きている事はある程度知っていますが……草薙さんは自分の正体を隠すよりもこの風守の人間の命を優先しているようですね……そういう所は変わっていません」

「思惑通りにいかない、失敗する経験なんて俺の人生でいくらでもあるんでな。多少の失敗なんて気にしてもしゃあねぇだろ」

「さすが失敗と挫折の数が多い人はおおらかですねぇ」
「挫折って財産をもってるおかげだな。失敗にへこまないと人生生きやすいぞい」

「挫折という財産ですか。なるほど。それなら草薙さんは王公貴族など比ではない財を持っているという事になりますね」

「人間挫折してなんぼだしな」

「あなたは精神的に不健康で健康です。友達として嬉しい限りですよ」

「その友達ってのが敵に通じているのが問題だがな」

「これは異な事を。私と草薙さんの仲じゃないですか」

「まぁ女だろうがダチだろうが、人間関係なんて嘘があって当たり前、誤解があって当たり前だ。気にしても仕方ないさ」

「あはは草薙さんのやすりで適当に削った様な人生観、私は好きですよ」
「まぁ、何事にも限度があるってお前見てると思うがな」

草薙とカイリの会話は親しげでもあり遠くもあった。
本質としてカイリという男は誰の味方でもない、だから草薙はカイリを信頼できる。

「……草薙さん、私は君の敵ではないですよ」
「全く信用できない事を除いて嬉しい一報だ。戦争なんざ敵が少ない方がいいに決まっているからな」

「草薙さんの敵となると、世界の敵という事ですね」

「……そりゃ絶望的だ」

「……日本の味方であるという事はそういう事ですよ。特にこれから先の世界は」
カイリの鋭角の目が草薙を見据える。
これから来る危機を警告しているかのようだった。
「この神暦の世界で……日本だけが特別です……魔族も神族も……本質としてこの日本の存在を許容できない……」

「リュシオンが……来るか……」

「えぇ――来ます」
「…………」

草薙は、手に汗がしたたり落ちるのを感じた。

「――ガルディゲンは?」
草薙が重い口を開いた。

「宿願を果たしにきますよ」
「……」
それがどういう意味か草薙は知っている。ガルディゲン、魔族の願いを草薙は身をもって理解しているのだから。

「あの時の戦いで……日本は滅ぶはずでした……だがそうならなかった……故にガルディゲンは来ます」

草薙はゆっくり息を吐く。ガルディゲンとリュシオンが来る。それが最悪を通り越した事態を呼ぶ事は容易に理解できた。

「混沌……なんてレベルじゃないな」
「ええ、リュシオンとガルディゲン、彼らもまた不倶戴天の敵同士なのですから……故に――」

陽の光が熱くなっている気がした。
前大戦の時の陽射しに似ていると草薙は思った。

「――三つ巴。戦争です」

「パワーバランスが滅茶苦茶だな。今の日本では」
――滅ぼされるしかない。

ガルディゲンの魔族
リュシオンの神族。
絶大な力を有する二大勢力。
これに対抗しえるものなど世界に存在しない。

「あの時代の日本なら……戦えた……そうですよね、虚神」
「……」
カイリの言葉に草薙の目が鋭角に細まる。

「ガルディゲンもリュシオンも……見ているのはこの国です。双方不倶戴天の敵。
潰し合う敵でありながら、この日本を狙っているという点は共通している」
「本気だな……あいつらは」
冗談だと、平和ボケした頭で笑い飛ばせればどんなに楽だろう。
だが残念ながらそれが現実だという事を草薙は理解してしまっていた。

「彼らはいつも本気ですよ数百年……勤勉に働き続けてきた。
だからこそ彼らは世界の覇者たり得ている…………よく知っているでしょう? 草薙さんも」

「勤勉な天才か……全くもって性質が悪いな」」
勝てる算段が思いつかない。

「文字通り、救いようがない状況です。この日本は、ね」

「…………」
草薙は答えない。
しばしの沈黙。
そしてカイリがその沈黙を破った。

「どうしますか?草薙悠弥」
空気が変わった。
カイリが草薙へ踏み込む。
草薙は動かない。
「潰しますか――彼らのように?
見限りますか――――彼女達のように?
いいやできないできはしない。草薙悠弥はそれを許さない」
「!!」

一瞬だった。
カイリが草薙の眼前まで踏み込んできた。
予備動作を一切感じさせない動き。
瞬間――カイリの口元が半月に歪む。

「だったら僕が――」
壊してあげますよ――
瞬間、カイリの周囲が変質した。
「――」
草薙が壊理を見据える。総身を駆け抜ける悪寒。
カイリは嘲笑するように壊の言の葉を紡いだ。

――Emeth

カイリが神理を紡いだ。
碧の神理が起動。
壊乱する世界。
巨大な力の余波が空間を圧倒する。

そしてカイリから――詠唱が紡がれる。

「――国の境を消失し裏切りを以て信仰とする」
変革する大気。
震動する世界。
草薙の総身が警鐘を鳴らす。
カイリの誓言が空間を震わせていた。

「十二使徒より裏切りに殉じ
――我が神穿て背神の槍」

その時、カイリの手から槍が顕現した。
力の余波に大気が震える。
禍々しい輝きをまとった神槍の輪郭。
膨大な神気が迸る。

「――」

瞬間草薙が――動いた。

カイリにむかい嵐のように進撃する。
――ジュオォォォ!!
風が鳴る。瞬間、風を纏った草薙の拳がカイリに撃ち放たれた。

――ガキィン
蒼の拳と碧の槍が衝突。
空間に亀裂がはしる。空間を壊乱させる衝撃が吹き荒れた。

――ゴォォォン
鳴り響く轟音。
弩級の衝撃に神場が震撼する。巨大な力が空間を圧迫していく。
カイリの巨大な力の片鱗。それが徐々に収縮。
碧の神理は途中で停止していた。
その激震の中で草薙悠弥は揺らがない。
只一心に、拳をカイリの眼前へ突きつけていた。
「――」
「――」
草薙がカイリを見据える。
カイリが草薙を見据える。
張り詰めるような緊張。
そして――
「やる事は変わらん」

草薙が口を開いた。
「国敵討滅……それだけだ」
草薙は巨大な力を前にして尚、己の理を口にした。

今の草薙では到底かなわないであろう巨大な神理を前に、草薙は己の理を貫く。
「……」

そんな草薙を見てカイリの表情が止まる。そして――

「……あはっ」
カイリの表情が崩れた。
「あははははは、安心しましたよ。さすがは蒼生守護の風。いやいや全くあなたはそこだけはブレませんね」
心底面白そうにカイリは破顔した。
「……相変わらずお前は何をするかわからんな」
その様子を見て草薙は拳をおろした。
「あなただけにはそれ言われたくないですね。やめてくださいどん引きです。存在が犯罪です」
「そこまで言われる筋合いがねぇ!!」
先ほどの殺伐とした雰囲気がまるで嘘のように、二人の間の雰囲気はゆるいものに変わった。空気の緩急の落差が極端という面でこの二人は共通している。

「あはは、すいません。あなたがあまりにもブレないもので。いやいやブレないというのは素晴らしいですね」

「別にブレてもいいと思うけどな。状況も人の心も変わるもんもんだ。変わらぬ事に囚われる必要もないと思うがね」

「確かに、あなたは風のように言ってる事を変える。約束も契りもあなたにとって枷足り得ない。
……ですがこの日本を守るという理は変わりません」

「好き勝手してるだけだ。どれ位好きかってしているかというと女のおっぱいを揉む位好き勝手している」

「そうですね、あなたは誰よりも自分勝手で……そして誰より蒼生守護の生き方に殉じている――矛盾の固まりです」

破顔したカイリは草薙を親しげに見ていた。

「人間矛盾してるほど人生楽しいぞ。お前もよくわかってると思うが」
「でもあなたは私とは違います。そして人間の誰しもが異なり理解し合えないとわかって尚、あなたは人を嫌っていない。矛盾ですね。最も、そういう君だからこそ僕は君が好きなんですが」

「史実クラスの裏切り者『背神』に好かれるとは実に胸アツだな」

「あはは……それは耳が痛い……ですが……」
カイリは石版に目をやった。
その目には彼には似つかわしくない暖かな柔らかさがあった。

「この石版の人達も…………あなたを慕っていました……そして草薙悠弥はその想いに応えようとしている」

「――それもまた良しだ」

「……やはりあなたは覚えやすい人ですよ……めんどくささというものがありはしない」

「『安い男』が売りなんでな。安いのはいいぞ。なんせ貧乏に強い」

「あはは、そうですね……それにご安心下さい。僕もこの風の帰る地をどうこうする気はありませんよ……皆さんが眠る地ですからね」

カイリは草薙と石板を優しく見つめる。

それを最後に、カイリの体中に碧のリアリスが立ちのぼりはじめた。

「僕達国無き民は、国家の神理を体現する事はできない」
カイリの輪郭が揺れ始める。そしてカイリの体から理法の光りがゆっくりと溢れてきた。

「見せてください、我が友草薙悠弥。あの時の君が僕に見せてくれた国家神理を――」

カイリの体が光りを放つ。だがそれに構う事なくカイリは草薙を見て言葉を続けた。

「……虚神の神風を、ね」

そう言い残したカイリの体が輪郭を消失させていく、碧のリアリスが舞う。
蜃気楼のように壊理は消え去った。
後に残ったのは草薙悠弥只一人だけだった。

「――神の風、か」
誰もいなくなった神場で草薙は自身の手を見た。
蒼の風が収まった手。風がゆっくりと揺らめいている。

「……神がいるとすれば……それは――」

言葉が風に消える。
太陽が静かに草薙悠弥を見下ろしていた。

◆ 

リアリスの透光がゆらめく中、草薙は石版の前に立っていた。
石版と同じ時間を過ごしている、只それだけ。
ゆっくりと風が草薙の手に収まっていく。
しかし、その止まった様な時間を切り裂くものがあった。

「――無防備ね……草薙」

草薙の後ろに鋭い声が響く。背中に冷たいものが押し当てられる感触。
ラムの短刀が草薙の背にあてられていた。

「今日はそこまで悪い事してないぞ」
しかし草薙は柳に風とラムの殺気を受け流す。
ラムの殺気だった雰囲気と対照的に草薙は悠々とした態度を崩さない。

「……随分余裕あんじゃない、ビビんないの?」

「びびってるよ、パンピーなめんな。でも実際、お前ここで血ぃ流す気はないだろ」

草薙は神域を見回した。

「この風の帰る場所で」
石版が安置されている神域。
この英霊の眠る神場は古来風守では「風の帰る場所」と言われていた。

「草薙、なぜその名を知っているんだ」
横から表れた葉月が驚きの声を漏らした。
「ほへ~~草薙お兄ちゃん物知りでござる~~」
早綾は感心したように大口を開け子供らしい反応を返す。
『風の帰る場所』。その名称は風守の中でも一部の者にしか知られていない。
草薙がこの地の別称を知っている事に驚いたようだった。

「ワイは日本人やからな。色々知っとるんやで」
「……ふんっ……」」
草薙の適当な返しにラムは憮然とした顔で刃を引く。
どうやら草薙の指摘は当たっていたらしく、ここで血を流す気はないらしい。

「私達と離れて……ここで何をしてたの?」
「風守は自由の地だろ……心のまま望むがままを為す、それだけだとも」
「…………」
草薙の言葉は風守の言葉だった。それを引用のはずだが自身が考えたようなスムーズさに一瞬ラムはどう反応していいかわからなかった。
「それより、ここは神聖な場所だろう……お前達も参ったらどうだ」
そこで草薙は視線を早綾にうつす。

「早綾も石版にお参りするでござる~」
早綾が明るい声で石版に向かっていく。

アゲハと葉月も石版に膝をつき、祈りを捧げた。
そして、慎重に石版に触れはじめる。石版に異常がないか検分しているようだった。

「えっ……」
そして葉月達がある事に気づいた。

「これは……」
石版の様子にアゲハが目を見開く。
「石版の理が……活性化しているぞ……」
「こんな事ずっとなかったでござる……」
ほぇーという感じで小さな口を開け、早綾が身を乗りだし食い入るように石版を見た。。
石版は葉月達も知らない理力を帯びていた。
周囲のリアリスが色濃く光り、理力が高まっている。
広がる理力の波濤から、風守への加護が強くなっている事が肌で理解できた。

この石版の様に、神理を帯びたものは「法具」と呼ばれる。
葉月達が来ている肌の露出した服も「法装」と呼ばれる理法に最適化された法具の一種だ。
法具は理の干渉を受けるなど力を帯びる。力を帯びる原因は理の干渉に限らず様々だ。逆に時間の経過等の要因で力を徐々に力を失うケースが多い。
だが、なんらかの干渉によって力を取り戻す事もある。
そしてこの石版は時を遡ったが如く、その力を充溢させていた。

「……この理力の活性化……草薙さんのお相手をした……下忍達と似ている気がします」
「そうよ草薙!!、あんた、回復の泉で見張ってた下忍達になにしたのよ」

「そ、そうだぞ草薙。泉でお前の調査……じゃない!? 相手を担当したくノ一達が色々凄い事になっていたんだぞ!!」

ラムはがジト目で草薙を見て葉月が顔を赤くして草薙を追求する。
「エロエロ凄い事に……だと!?」

「 間違ってないけど間違ってる!!『色々』でござるよ草薙お兄ちゃん!!」
早綾が『エロエロ』を訂正する。若干興奮している、中々あなどれない幼女である。

「草薙さん……その、あなたのお相手をした下忍の方達ですが……」
下忍達とは、泉でアゲハ達がいなくなった後、草薙の相手をしたくノ一達の事だろう。
アゲハが少し恥ずかしそうに目をそらした。少しきまずそうに体をモジらせた。

「彼女達の体から……魔族の呪毒が消えていました……」
「うむ、そいつは良かった」

「魔族の呪毒は簡単に消えるものではありません……癒しの泉でもすぐに治せるものではありませんから」
「そ、それになんかこう何というか……様子がおかしかったんだ。顔が赤らめていたというか……色仕掛けで返り討ちにあったといっていたが……一体何をしたんだ草薙……」

「そんな大した事はしてないぞ」
「怪しいわ!! なんせあんたは葉月をの乳をもみしだいて淫乱雌にしたのよ! 疑いマキシマムよ」
ズガァンと雷の様な勢いで、ラムが草薙に迫る。
「うぉ、うぉおぉいこらラム! わたぁわたしはぁそんな事なってないぞぉ!!」

「葉月ちゃん噛みすぎでござるよ!」

葉月が(また)取り乱したので早綾がどうどうと抑える。
早綾がふぅっと幼女らしからぬ達観した溜息をポソっともらす。
「まぁぶっちゃけ下忍のお姉さん達が色仕掛けで草薙お兄ちゃんを調法、ううん諜報しようとしたのでござるな……それで返り討ちにあったってだけなんでぶっちゃけ只のいちゃもんでござ――」
やれやれというジェスチャーの早綾の頭をラムがズガァンと掴んだ。
「さ・あ・や~あんた子供だからって何でも正直に言えばいいってもんじゃないわよ~

「痛い痛い痛い!! ラムちゃん痛いでござる~~」
幼女の頭を割りかねない勢いでラムが早綾の頭をグリグリする。割れそうである。
早綾が痛みに耐えかね、涙目で許しを懇願した所でラムは早綾を解放。その勢いで草薙に詰め寄る。
「草薙、あんた何か知ってるんじゃないの? 言ってみ! このラムちゃんに言ってみ?今なら地獄行きくらいで勘弁してあげるわよ」
ラムは視線だけで殺しかけない鋭い視線で草薙をジトーっとと見つめた。

「そんな熱い視線を向けられると緊張するな」
「はぁ? あんたそんな可愛いタマじゃないでしょ! 」
「俺、ムッツリスケベだから緊張するんだよ……」
「くっ!? あんた……童貞ね!!」
「ど、童貞ちゃうわ! なんや童貞は子孫残せんから死ねってか!? うるへぇ殺すぞ!!」
草薙が過剰に反応した。
「そこまで言ってないわよ!」
「落ち着いてください」
尋常じゃない取り乱しっぷりにアゲハと葉月がどんびきした。
「許せんのや!! 世界の童貞を馬鹿にする風潮が!! 多くの日本男児の心を不安にさせるんや!! 許せへん許せへん!!!絶対に許せへん!!!!」
「く、草薙!!」
いつになり草薙の気迫に葉月とアゲハはごくりと唾を飲んだ。

 「童貞を馬鹿にする風潮を根絶しろ!!」

草薙が熱する。怒りが彼を覚醒させたのだ。

「その思考が風潮がどれほど多くの日本人の男を苦しめてきたか……それを思うと俺は……俺はああぁぁ!!」
草薙が吠える。魂の叫びだった。
「わ、私達はそんな事はないぞ」
「そ、そうです私達は風守の者です。日本人の味方です。悩みを共にわかちあえど、笑う事などあろうはずがありません」
葉月とアゲハ、そして下忍達にも真摯な光りが宿る。
というか草薙の様子が中々痛ましかった。
「やばいわねあんた……」
ラムが本当に「やべぇなコイツ」という顔で草薙は
葉月とアゲハ達は『この人はもう駄目かもしれん。なんとかしなければ……』という顔をする。
普通の女性ならどん引き必死の草薙の様相にも理解を示そうとする風守。
さすがに日本人の為にという、風守の教育は行き届いている――が

「まぁ落ち着きなさいよ童貞。そのまま果てていいから」
その誠意をラムが盛大にぶっ壊した。
「ふごおおおぉぉ」
草薙が膝をおった。
「ふふふ、それも一興よ草薙!! 骨位は拾ってあげる!!」
「ど、童貞ちゃうわ!」
「そ、それはわかったから」
「ど、どうて!」
「もういい、もういいんだ!草薙!!」

葉月が悲壮な声で草薙を止めた。
ふぅっ、ふぅっと草薙は興奮していた。

「……まぁわからない事を考えても仕方ないかもね、あんた童貞くさいし」
「最後の関係ないよなそれ!」

ラムのディスりに草薙が憤慨した。
アゲハがピンとした姿勢を崩して頭を抑える。

「草薙さん……その……あなたはわからない事が多すぎます」

「俺は並の魔法使いじゃないからな。不思議がいっぱいだぞ☆」

「黙りなさい童貞、張り倒すわよ!!」

「はっはっは、まぁ賑やかでなによりだ」
草薙は朗らかに笑う。草薙は気分の切替が早い男だった。
「それにしてもこんだけ美人に見守られて、この石版も嬉しいだろうな」
草薙は気楽な様子で、淡く明滅する石板を見た。

「それにしても……この石版の様子はいったい………」
葉月は何年かぶりにみる石版の充溢を驚いている。
「石版が……なんか……喜んでいるみたいでござる」

「今日は色んな奴がここに来ているからな。こいつらも機嫌がいいんだろうさ」
「そんな事が……あるのでしょうか?」
「お盆とかでじいさんやばあさんの所に顔出しにくると、じいさん達よろこぶだろ?。それと一緒だよ。あんま固く考えんな」
草薙は気楽に石版に礼をした。それにつられるように、早綾は石版に祈りの動作をとる。
「……石板さん、今日もありがとうでござる」
早綾は石版に祈りを捧げた。

「風守の奴らはこの石版を大事にしてるんだな」
草薙の問いに、早綾は嬉しそうに頷いた。

「この石版はね、虚神様と一緒に戦った人達の名前が刻まれてるんでござる」

石版には彼らの生きた時を刻むかのように数多の名前が刻まれていた。

草薙は石版に軽く手を触れる。
ひんやりとした石の感触が伝わってくる。

「いい所だよここは。優しい奴が多い」
石版から視線を外さず草薙は石板を見つめた。

「…………」
風守の少女達が草薙を見る。
石版を見る草薙の視線はいつもと違うように見えた。
葉月は草薙の姿に微妙な違和感を感じた。草薙からここにいてここにいないような
虚ろな気配を感じたのだ。

「……草薙は……風守の歴史に興味があるんだな」
「ここはこの国にとって必要な場所だからな」
「でも……私達の味方すると、皆から変な目でみられるでござるよ?」

「皆って誰だ?」

「ええっと……世間の目、とか……」
「世間の目? なんで俺がそんなものを気にする必要があるんだ?」

あっけらかんと草薙はそう言い放った。
「いやいや草薙、普通は気にすると思うぞ、世間の目」

「ここの奴らはいい奴らだ。俺のような奴にも親切にしてくれた。世間の目とかいう胡乱なものより、その事実の方が大事だろ」

「草薙……それはなんというか……お前らしいな」
ある意味彼らしい。なにせ草薙悠弥という男はいきなり乳を揉むような男である。確かに世間の目とかそういうのをどうでもいいと思ってそうで、妙な説得力があった。

「草薙さん、風守を好意的に見てくれるのは嬉しいとアゲハめは思いますが……それでは草薙さんも巻き込まれてしまいます。私達は日本人の為の神社ですが……今の風守の評価は……」
「俺は俺の信じるものしか信じん。人がどう見ようとそんなの関係ないだろう」
淡々と、しかしはっきりと草薙は言った。
「人の目なんて気にしてもしゃあない。嫌われるのを恐れてストレス溜めるくらいなら、好きなように振る舞う方がなんだかんだで生き易い」
『鬱も減る』と続けて草薙は笑いかけた。
そんな草薙のゆるい態度に思わず早綾から笑いが漏れる。
「ふふっやっぱり草薙お兄さん変わってるでござるね」

「この通り住所不定無職の身だからな。金も無い、女も友も無い。
今更世間の目を気にして生きるのもバカバカしいだろう」

開き直りに近いが特段自分を卑下している様子もない。
それは風の様な『個』の思想。公がどう捉えようと全くもっておかまいなし。
自分は自分であるという在り方。
それは公の為に戦い公の為に殉じた虚神の伝説とは真逆だけど。
不思議と、少女達は草薙の言葉を良く感じた。

「こいつらも似たようなもんだろ」
草薙は淡く光る石版に目を向ける。

「自分の信じた生き方があるから、こうしてこの石版に残ってる。特にこいつらあたり」
石板に書かれた虚神の名前。
そしてその仲間達。
その者達は確固たる心の真を――真理を神理と成した神理者達だ。

「虚神と共に戦った仲間達――」
かつて虚神の元に集まった仲間達の名を少女は読み上げる。

「【正真の刃】武宮京悟。
【背神】 カイリ・キグナス・エイリュダス・ユダ
【幻葬者】 楠 樹そして――」

刻まれた数々の名前を読み上げていく。

それは英雄といえる者達。
救国の刀「正宗」を持つ伝説の侍。
最高の叡智を持つ「失われし十神族」唯一の日本人。
虚神と共に戦った彼らは正しく法外の力を持った者だった。

多くの種族、数多の思想を持つ仲間。
虚神と共に駆けた者達が刻まれていた。

草薙は石版を見ていく。
草薙の目には光が宿っていた。

「えと……えとね……この人達は」
早綾が遠慮がちに、石版の前に立った。。
少女の指先が石板をなぞっていく。
「この人は魔族との戦いで戦線を守った人で、この人は海上で拠点を守った人…それでこの人は――」
語られる先人の功績。
虚神の戦いを語る少女達の語りは命を宿したような躍動感があった。

少女達の口から伝説が語られていく。

最初にあがったのは元世戦争において恐るべし力を持った元軍から日本を守った戦い。
石版に記載された名前はその時の者が多い。
元軍の戦いは激しさを極め、数多くの犠牲を払いながらも日本を守った。
そしてそれ以降も、数々の国難があった。
魔族や神族との戦いそして――前大戦に至るまで。
「……数々の戦いを虚神は経てきた」
少女達は語る。

日本を守るため、邪竜を打ち倒した伝説。
獰猛な悪魔の襲来から本土を守った防衛戦。
友を助けるために幾多の戦場を越えた友誼。

血を熱する様な勇猛な伝説があった。
心を潤すような優しい伝承があった。

虚神は数多の神理者と戦った。
虚神は数多の魔族と戦った。
虚神は数多の神族と戦った。
虚神は数多の日本人を助けてきた。
話の内容は多種多様。
日本人を守るために手段は選ばず方法を問わず。
人種も種族も多種多様。
統一性などありもしない。
だがその中で確かな事があった。
虚神は数多の人間の命を――救ってきたという事だった。

「虚神様も……仲間も……皆が頑張ったの、知ってるござるよ……」

早綾の表情には少女らしい輝きがあった。
他人から見れば理解しづらい想いに共感を示してもらえた時のような顔だった。

「――何処から来て何処へ帰るのか」

草薙が口にしたのは斉唱の一節。

「――彼の者の帰る場所この地にあり。
骸は地に――命は天に――想いは風の帰る地に。
――肉体は滅びても魂は此処に還らん」
斉唱が続いていく。
紡ぐ草薙の歌は石版の者達へ捧げる歌だ。
「その斉唱……」
それは早綾達風守の者がよく知るものだった。

葉月とアゲハは驚いたように草薙を見る。
この一節を知る者が少ない、というだけでない。
草薙の詠唱には慈しみの響きがあった。
この地で眠る者を想い、慈しみ、誇る心が斉唱に宿っていた。

「――この風の帰る場所へと」
斉唱が終わる。
歌い終わった後、草薙はゆっくり息を吐いた。
「いいんじゃないか」
そして、草薙は空を見上げた。

「私利私欲でもいい、好きな奴のためでもいい。どんな理由だっていいさ。自分の意志を信じ国を守った人間達だ。そいつらに感謝する」
淡々としていながらも、底に暖かいものがあった。
「草薙お兄、ちゃん?」

草薙の瞳の奥に何か揺れるものがあった。
透き通る湖面の様な瞳に早綾は目を奪われた。

「俺は好きだな」

気楽な草薙の言葉が、葉月達の胸を風のように通り抜ける。
この弾圧された風守の地を好きだと、ここまで迷い無く言い切った人間は初めてだったのだ。

「虚神は日本の為に……戦ってきたんだ……」
「悲惨な戦いも数多あると聞いています……ですが……それでも虚神が経てきた戦いは……私達が奉ずるに値すると……アゲハめも思います」

彼女達も戦いの現実をその身をもって知っている。
故に虚神の戦いの伝説も理解できるのだ。
夢や綺麗事など通じない事も理解している。そして虚神の勝利が非道をもって成された事も数多ある事も。

「戦いが地獄だったのは……わかるんだ……本当に戦うという事がのがどんなに痛くて……どんなに怖いか…………私達も知ってるから」

傷跡を抱きしめるように葉月が言葉を紡ぐ。
彼女達の言葉には重みがあった。何度も戦いの中で死に直面したからこその重みだ。
先ほどの戦場を、魔族達との戦いを思い出す。
魔族達との戦いも『漆黒』が現れなければ死んでいた。
無惨にその身を食い尽くされただろう。

少女達の脳裏を灼く戦いへの恐怖。その恐怖は耐え難い。彼女達もまた、戦いの恐ろしさを身に染みて識っているのだ。

「だから、わかるんだ。日本人を絶対に守る風が……蒼生守護の理が……虚神様がどれだけ皆の支えになったかが…………」
故に、虚神は日本の希望たり得た事もわかるのだ。

「……虚神様は数多の戦いを経てきました」
アゲハは草薙に語りかける。
「壱伎で元軍を倒した、『一の戦』
10万の元軍を破った『蒼壊戦』」

「――エルフ族を救ったケイリュスの戦い」
「――カナンの地を救ったハスティバルド聖王戦」
「精霊騎士と聖女と共に成した邪竜討伐、それから――」

少女達の口から数多の戦いが語られる。
それは風守に伝わる虚神の戦いだった。
日本国内だけでなく、日本以外の戦いも多く含まれていた。
「虚神を排外主義者と見当外れなレッテルをはるものもいますが、おそらく彼ほど日本以外の国でも戦い、多くの種族を救った人間もいないでしょう」
「アゲハちゃん、早綾エルフ族を救った逸話も好きでござるよ」
「早綾。だが、外の戦いばかりを注視するのは先人への礼を失する。ここは首都防衛した、王絶の戦をあげるべきだろう」

体を熱くするような勇気の伝説。
心を潤すような優しき伝承が語られていく。
早綾、葉月達の瞳には微かな嬉しさがあった。『俺は好きだな』という先ほどの草薙の只一言。
それは彼女達の想いに共感してくれた事への嬉しさだった。

虚神の信仰は長い間弾圧されていた。
自分が良しとするものへの数少ない理解を得られたような嬉しさだった。自分が好きなものを他者から理解されない悲しさを知っている。だから、その想いを理解してくれる者を見つけた時の嬉しさは彼女達に響くものがあった。

彼女達の語りは芯に熱があった。
邪竜を打ち倒した勇猛な伝説も。
友を命がけで助けた義侠の伝説も。
どれも彼女達にとっては信仰を支える逸話だ。
彼女達の話は続いていく。
「……」
それを草薙は無言で聞いていた。
そして、少女達の語りは虚神の根源に至る。
「虚神様の風――神風」

それは伝説だった。
神風――虚神の伝説はそこに集約される。
「日本が危機にある時、助けてくれる風……」

日本人を助ける風。
不安や恐怖はいっぱいで。その種類もたくさんだけど。祈るものは一つでいい。
神様――

「虚神様、蒼生をお守り下さい」

その言葉は救国の風を呼ぶ。
――神風。

元世戦争を終結させた風。
祈りに応え日本人を救う風。
祈りに答え敵を滅ぼし、信じるものを救う神の風。
それは本来日本の神への価値観とは異なるだろう。
それが虚神が異端視されている一側面。

祈りを捧げる神。
不安や恐怖を感じた時に助けを求める神。
救いの神という神観はリュシオンが奉じる一神教の性質に近い。
日本を救う神でありながら、日本の神観とは矛盾した存在。
だがそれでも彼女達は祈る。

「虚神様、我ら蒼生をお守り下さい」

それが祈りの言葉だから。
今は不安の時代。
恐怖の対象は増えていく。
だがどんな恐怖も払ってくれる只一言。
それが彼女達の切なる祈りだった。

「その風で、私達をお守りください」
この日本を守った神の風。
神風への祈りだった。

どんな不安な時もその言葉を唱える。
その言葉で胸の内の恐怖を風の様に洗い流していく。
不安を拭う言葉であったのだ

「――お前達は、虚神を信じているのか」

かつて虚神が信じられていた時代までは――
草薙の冷たい答えが神場に響いた。

「え……」
早綾は一瞬言葉を失った。
その声が余りにも冷たかったから。
草薙の問いには一切の感情もなかった。

草薙の虚空の瞳が少女達を捉えていた。
草薙の瞳は何も映し出されてないように見えた。

「――虚神が犠牲にしてきた人間を知っているか?」

「それ、は……」

「その中に無辜の民がいなかったと思うか?
全員が悪人だったと思うか?
虚神――久世零生がどんな手を使って国敵を殺したか。
――あいつが犠牲にした人間の重さがわかるのか」
草薙が紡ぐ言葉には透徹した刃の鋭さがある。。
戦争は地獄だと人命はゴミのように消費され、正しき価値観が入り込む余地のない悲惨なもの――そう訳知り顔で語るほど
恥知らずでもない。
ただ結果があるだけ。

戦いによって死んだ者がいというる只の事実。
そして罪が残った事。

一切の温度を交えず淡々と草薙悠弥は語る。
虚神の仲間の事を語る時、草薙の言葉には暖かさがあった。
だが虚神自身を語る、草薙には優しさの類の一切が無い。

「神罪人――久世零生――虚神」

それが虚神の現在そのもの。
草薙の零度の瞳に少女達は心臓が止まるような恐怖を覚えた。
「――大戦における虚神だ」
「ッ……」
漆黒の風を振るい国敵を討滅したとされる神理者。

大戦、その言葉を出した時、くノ一達の顔から表情が消えた。
静寂に包まれた神社、人の絶えた場所。
過去に蒼生守護の神といわれた英雄を祀る場所とは到底思えない忌避の空気。
その根幹は大戦にあった。

「…………」

くノ一達は黙り込んだ。その評価を、虚神の眷属である彼女達は覆すに至っていない。

虚神は英雄である――元世戦争の話では。
虚神は罪人である――大戦の話では。
二つの伝説を持つ虚神。

そして今の時代虚神の評価は――

「――第六等神罪人 」

草薙の言葉が静かに落ちた。
「ッ!?」
少女達は言葉を出せない。

「――最悪の神罪人だ」

――久世零生。
その神理は――神風無道。
神理者として最強と謡われながら、日本を守るため無道の
限りを尽くした存在といわれている。

F~SSSまで確立された神理者レベル。
リュシオンとの決戦時は最高位階に到達したといわれるほどの神理者だった。

虚神――久世零生は超大国リュシオンとの戦いで破れ死亡したとされている。
そして――『神に対する罪』を犯したとされた。
死後も第六等神罪人としてリュシオンの神族から裁かれその名誉は神罪人となったまま。
元世の戦いで元軍から日本を守った英雄の名は大戦で地に堕ちたのだ。
彼の者の名は死後も神罪人なのである。
虚神は不老を誇る古代種の神理者の中でも異質な存在だった。


「虚神は――守れなかった」


海の底にいるかのように重々しい言葉。
最悪の神罪人――虚神の最大の罪はそこにあると示していた。
草薙の瞳に真摯な光が宿る。別人の様な異質な気配を少女達は感じていた。
「お前達はこの神社の教えを、虚神を奉じている」
「そ、そうです、私達は――」
「――苦しい思いをしてまで奉じる価値があるのが?虚神に――」
「ッツ……」
殺気すら感じる草薙の気配に少女達は気圧される。
その恐怖はどこかで感じたもののように思えた。
(この感覚は……あの時の……)

葉月は魔族を倒した『漆黒』の存在を思い出す。
草薙が発する気配がその存在を『漆黒』の存在を想起させたのだ。

「虚神は――」
草薙が何かをいいかけた時――

――震撼。
――轟音。
圧倒するような衝撃が神場を襲った。

「きゃああああぁっ」
爆発音が神場に響き渡る。
地が激しく震撼する。高マグニチュードを越える
揺れが神場にまで響いていた。

「どうしたってのよ!? これ……」
忌々しげにラムが顔を歪めた。
少女達の体をさすような衝撃が襲う。
理力の波濤が伝わってきたのだ。
轟音の残響と共に総身を駆けぬける悪寒。
揺れる空気の波濤から殺気が伝播するようだった。

「襲撃!? 」
訪れた衝撃にアゲハは息を飲んだ。
「まさかまだ魔族が……」
葉月が息をのむ。
「ちぃっ……やばそうだっって事は馬鹿みたいにわかるわね」
ラムが吐き捨てる。
嫌な予感がする。その感覚は少女達共通のものだった。
胸に広がる冷たい予感に、少女達の心臓が早鐘のうたれる。。
先ほどの修羅場を経験した彼女達でさえも、強大な気配にみじろぎする。
その時――
「誰か、誰かいるの!?」

その時、悲痛な声をあげて一人の少女が来た。

急いできたのか足下がボロボロである。
彼女達と同じ、歩き巫女の一人だろうが、切迫した様子が伝わってくる。

「ど、どうしたのでござるか?」

「危ないんだから!? 早く逃げてなんだから」
巫女の法装をまとった少女が表れた。
息も切れ切れ。そしてあちこちに傷を負っていた。
幼いながらも強い意志が感じられるが、それがより切迫した雰囲気が感じられた。
少女の瞳が草薙をとらえた。
「誰!? あなた」
「俺の事なんざどうでもいい。それよりどうした?」
「だ、大丈夫、この人は……悪い人じゃないでござるよ!」
早綾は慌てて返答した。
「ッ!? みんなが……みんなが危ないの!? 」
巫女の少女は若干の疑念があったようだが、今抱えている焦りの方が勝ったらしい。

「早く来て……森が焼かれて……社が壊されて……結界がやられて…………みんな……みんな必死でやってくれてるけど……もう」
幼ないながらも必死に役目を果たそうとしているのがわかった。
「落ち着くんだ、誰だ。誰がそんな事を……」
「ッツ……」
葉月の問いに巫女の少女の表情に暗い影がさした。
強い意志を宿した瞳が絶望を宿す。
それだけに事態の切迫が伝わってきた。
「――……」
「なっ!?」
巫女の少女から出た言葉が葉月達を戦慄させる。
息も絶え絶えに巫女は葉月達のへ駆け寄り、何事かを話し始める。

――天代様、――には、
――駄目、これ以上疎開、者に――不安、は
――まさか――神器――を

疲労と焦りのあまり声が途切れ途切れになっている。
断片的にしか単語は聞き取れなかったが、切迫した雰囲気が十分に伝わってきた。
そして話し終わった後、葉月達が頷き合い、草薙に向き合った
「……草薙、すまない。急用ができた」
「……申し訳ありません草薙さん。アゲハめ達はここで失礼いたします」

「忙しくなりそうか?」

「……そうですね……神社にお客様がこられたようですので」
彼女達の声は張り詰めたものがあった。
それでも、草薙へ笑顔を作り、彼女達は巫女の少女が来た方へ向き直った

「草薙は……早く避難してくれ。私達とは逆の方向へ行くんだ。
その先に抜け道がある……進むと安全な所へ出るはずだ」
「申し訳ありません草薙さん……本来なら、アゲハめが避難案内させたい所ですが……私も行かなくてはならないので」
「あんたは……さっさと逃げなさいよ……これは」
――私達の役目なの
そう言い残しラムが走る。

「草薙お兄ちゃんに……風の守りがありますように」

早綾が最後に草薙に祈りを捧げた。少女達もそれに続く。
そして、少女達は巫女達は急いで来た道の方へ向かっていく。
草薙は石版を見ていた。

「なぁ――」
草薙が一言だけ声をかけた。
少女達が動きを止める。

「――虚神は日本人の味方だって信じているか」
只一つだけ問う。
「……はい。私達は……日本を守るために戦った虚神を信じています……これからも」

「……そうか」

やりとりはそれだけ。
少女達が出て行く音が聞こえる。
そして、静寂が訪れた。

「…………」

一人となった草薙は特に何をするでもなく石版を見つめる。
先ほどまで燦々と降り注いでいた太陽。その光は陰りを見せ始めていた。

「――風、吹いてきたな」



次へ