25話 風の洞窟
草薙悠弥は風の洞窟を歩いていく。
東京迷宮周辺の地下洞穴と異なり邪悪な理法生物の気配はない。
洞窟は神秘と清冽さが同居していた。
澄んだ空気、自然との調和が成されている。
(和の心、か)
それは風守の信念だった。
和の心とは元々自然との調和をなすためという意味も含む。
そういう意味でこの風守は正しく和の心を実践していた。
(ここの神はどうだか知らんがな)
洞窟を歩いていくと様々な風景が目に入ってくる。
流れる水は風守神社に流れているものと同様、蒼の清流だった。
浮かぶ理粒子。
暗闇に浮かぶ風守の粒子光は蛍のような儚い燐光だった。
静かな暗闇に理光が明滅し、湧き出る水の音が響いていく。
清くも幻想的な蒼の風窟。
風の洞窟が、正確にはここに連なる風の洞窟の法の力が活性化しているのを感じる。
しかし……
(風が……弱まってる)
同時に草薙は感じる所があった。
風の洞窟を通り抜ける風の音。
ざわざわというその音は警告音じみている。
風守を守り包む風。
その空間に亀裂がおきようとしている。
外からの脅威が形になって襲い来る、その現実が迫ってくるのを感じた。
だが――
「――GUUUUUU」
だがその時、影が飛び出してきた。
「――ッ」
草薙が回避行動。
襲い来る影の突進をすんでの所でかわした。
「GRRRRR」
草薙の目の前に表れたのは狼のようなものだった。
「陰狼かっ!?」
陰狼という理法生物、魔物でもある。
狼を原種とした魔物にカテゴライズされている。
動物、生態系進化一切と断絶した純粋種の魔物とは違うが、これも十分な脅威だった。
理力により神理者として覚醒する人間がいるように、動物の中にも理力の影響により特殊な力を帯びるものがある。
あらわれた陰狼、この魔物はこの風の洞窟に住まう理法生物としては強い部類に入るだろう。
この風の洞窟周囲の理もこの陰狼に合致したらしい。
風の洞窟の理力は理法生物にとって絶好のエサだろう。
(何が起こっているか)
知るには直に接するのが一番効率がいい。
それが今日の草薙の風守に対しての基本方針。
その方針のおかげで草薙は結界をはじめとした多くの情報を
得る事ができた。
そう信じ草薙は――― 一歩を踏み出す。
「GGG!!」
同時に陰狼が襲ってきた。
陰狼の一撃が草薙の頬を掠めた。
同時に草薙が左足で蹴り上げる。
狼をかすめ――
「ハッ!?」
引き足の反動で前進し、放たれた拳打が陰狼の側面をかすめた。
理法らしきものを使わない。
法兵達を倒した技とは異なるが、電光石火の速度にあるのは変わらない。
獣が横に回避をすると同時に、草薙はその動きをおった。
陰狼が身を翻し反動をつけて一撃を繰り出す。
草薙が疾走。
獣と速度比べをするのは馬鹿げているだろう。
「――らあああぁぁぁぁぁ!!」
困った事に草薙悠弥は馬鹿野郎だった。
鼓膜をぶん殴るかのような雄叫び。
一瞬で陰狼に至近、
先ほどの整然とした一撃から、型が外れたかのような一手。
一瞬陰狼の動きに遅延が発生する。
草薙はその隙に――一撃を叩き込む。
「――」
叩き込まれた拳打。
陰狼の手は草薙の額への一歩手前で止まり草薙の一撃は
深々と陰狼の額に突き刺さっている。
「グゥゥゥ……」
微かなうめき声と共に陰狼は倒れた。
魔物を倒した。
(強かったな……)
強かった。
スピードもそうだがこちらのフェイントに反応していたように思えた。
(魔物が……強くなっている)
風の洞窟に強力な魔物はいない。
「……行くか」
嫌な予感がする。
草薙は風の洞窟の先を進んだ。
◆
そこに災厄が在った。
それは災厄の百魔獣と呼ばれし者。
ガルディゲン。
獣は怒りに総身を震わせる。
獣には自負があった。
強大な力を持っているという自負だ。
今この場に甘んじているのは、魔獣という強者にとって
侮辱に等しい
(だが…)
だが納得せざるをえない。
鋭い本能に故に理解できる、できてしまう。
――ガルディゲンの大量破壊兵器。
そう呼ばれたあの存在達。
あれには勝てない。
故に自分がこの場所にいる事は理解できる。命からがら脱出を図るであろう敵を皆殺しにするためにここにいる事も。
しかし――
「aaaaaaaahhhhhh」
魔獣が凶の咆哮をあげた。
突き動かすのは痛みと怒り。
守護結界の強化。それも度外れたレベルの強化だ。
無謀を通り越して無道。
全身を苛むダメージ。
邪魔をしている。
何物かが自分達ガルディゲンの邪魔をしている。
今この瞬間もこの国を襲っている魔物達が何匹もねじきれたであろう。
災厄の魔獣は耐えた。
だが痛みは尋常ではない。
その時――
(キタギタギタ)
肉の匂い。
標的の気配。
飢える総身が力を帯びる。
予定よりずっと早い。
だが不思議ではない。
恐怖に耐えきれず逃げ出してきた人間
わかる解る理解できる。
魔獣は疾走る。
殺すため。
絞り出すため。
喰らい尽くすために。
恐怖の感情を引き出す。
そして喰らう。
弄び喰らい尽くすために。
(日本人の男と女)
ターゲットは日本人。
二人組である事はわかった。
日本の敵たる魔族が暴虐にはしる。
◆
風守神社は緊張の最中にあった。
葉月、アゲハ、風守の守護者達は混乱の最中だった。
ガルディゲンの軍勢が来寇している。
それが天代からの布達だった。
既にガルディゲンの来寇により大きな被害が出ている。
予想されていた事だ。
だがそれでも恐怖、そして怒りがあった。
自分達はここを動く事はできない。
よしんば駆けつけられても強大なガルディゲンの軍勢相手では……
(無惨に死ぬだけ、か)
その現実を思う葉月の体は震えていた。
風守神社。今は人数が減っている。
死を目前にしている、その自覚があった。
それは外敵の来寇に怯える民の心地だった。
いや――
(私達が……風守の人間が一番危ない……)
葉月達は殺されかけた。
むしろ今現在こうやって五体満足でいられる事が奇跡に近いのだ。
ケグネス――あの恐ろしいガルディゲンの魔族と対峙した時を思い出す。
あの魔族が本性を出した時、絶対に勝てないという絶望があった。
圧倒的な力、そして文字通り人並み外れた残虐性と嗜虐性。
(あの……漆黒が現れなければ……死んでいた)
いや、只死ぬよりも恐ろしい
目にあっていただろう。
あのケグネスという魔族はそれほど絶大な力を有していた。
(あの"漆黒"……私達を守った)
アゲハも早綾も、他の風守の守護者も魔族に殺されていただろう。
どす黒い魔族よりも黒い。まるで透き通るような透徹した黒。
“漆黒”が絶大な力を有していたあのケグネスを滅ぼした。
悪性を圧縮した様なケグネス、そして滅びの意志のみを圧縮した様な
"漆黒"。
(あれは……)
あれは正義と悪の戦いではない。
いわば悪と悪のつぶし合い。
そんな印象があった。
だが一つ思う所もあった。
"漆黒”のあの在り方は――
(日本人を助ける……神ノ風……)
自分は命を助けられた、その事実は間違いないのだ。
あの“漆黒”の正体は結局掴みきれなかった。
「葉月さんっ、大丈夫ですか」
アゲハが葉月に話しかける。
「あっあぁ。だ、大丈夫……」
「無理はしなくても構いません……正直アゲハめも
葉月さんと同じ気持ちでしょうから」
アゲハは葉月を気遣うように手を握った。
いけないと思いながらも恐怖の心があった。
恐ろしい軍勢が迫っている。
そしてその軍勢は――
「ガルディゲンは……きっと来ます……」
それが天代の布達でもあった。
アゲハ達もまた、葉月に近い事を考えていた。
「私め達は……今度こそ死ぬかもしれません……」
下忍くノ一達の言葉が重く響いた。
「”漆黒”がいなければ……私達は死んでいましたから」
「……そうだな」
いまこうやって五体満足で生きている事が奇跡なのだ。
アゲハ達下忍くノ一もまた、恐怖を感じていた。
今日何度も殺されかけた。
死を目前にした絶望感は体験した者にしかわからない。
「サジン・オールギス……あれも尋常な使い手ではありませんでした」
「シグーやバルモワ、テグムゾ、どれも尋常ではありませんでした」
強力なリュシオンの神理者達。
どれもかなりの力を持った神理者だった。
サジン、バルモワ、シグー、テグムゾ。
あの強大な力を持つリュシオンの神理者達を相手に戦った。
そして――勝った。
「今の私達の状況を打開できる人がいるとすれば……彼かもしれません」
死が迫る様な絶望的な状況の中で、草薙の存在は唯一の希望といってもよかった。
だから是が非でも……
「草薙様の行方は……?」
「駄目ですね、泉の時も草薙様とあの漆黒の関連について調べようとしたのですが……」
「泉の時と同じ様に、途中で振り切られました……」
「ですが……泉の時同様に彼の事は少しつかめました……」
と、風守の下忍達。
「やはり彼の理力の波調は風守の者と親和性があります」
「それも……異常なほどに……」
下忍くノ一の言葉には一縷の希望がある気がした。
複数の下忍くノ一の言葉には実感があった。
草薙悠弥という存在を必要としていた。
自分達の命を救った存在。
草薙悠弥が死が迫る自分達を助けると……いや、
(もしかしたら……この日本の……絶望をも)。
薙ぎはらう風となりうるのではないかと、彼女達風守の人間は祈るように想った。
「草薙様は……一体何者なのでしょうか」
風が吹いていた。
アゲハの脳裏によぎるのは、一人の男だった。
葉月と同じである。
風を感じていた。
ケグネスとの戦い、サジン・オールギスとの戦い。
いずれも命を救われた。
命を救ったの二つには共通点があった。
――神ノ風。
命を拾った。
それだけではない。
感じたのだ。
日本を守る無道の守護者――虚神。
草薙悠弥が来た時。
(……感じた)
草薙悠弥を。草薙悠弥が助けに来たあの時。
自分達が奉じるシンにふれた気がしたのだ。
辛い時に。
悲しい時に
人を助ける風。
日本を守り、日本人を助ける存在
虚神。風守の守護者である彼女達は、虚神に感応するといわれている。
故に
「草薙様が……この事態を打開する風となるかもしれません」
草薙に感応するような感覚があった。
まるで自分が奉じるもののように。
(草薙…)
(草薙様…)
神に祈るように少女は握った手に力を込めた。
◆
草薙は風の風窟を進んでいく。
理法生物を撃退しながら草薙は風の洞窟を進む。
陰狼の他にも、蝙蝠を原種とした魔物が襲ってきたが、つど撃退していた。
魔物達は陰の理の影響を受けている。
陰の理。それは風守の持つ一側面だ。
風窟の奥まで進み、十数体目の理法生物を倒した。
草薙の疑問は確信に変わりつつあった。
本来風守の近くの理法生物はここまで凶暴ではない。
それはこの風の洞窟の様な裏の部分であろうが変わらないと考えている
やはりこの周辺の理法生物すら活性化している。
災禍の前に理法生物が凶暴化する例は枚挙に暇がない。
現象として例えるなら地震の前兆に大量にクジラが打ち上がるそれに近い。
たたこれは明確な根拠と事例がある分タチが悪いのだ。
(魔大国ガルディゲン……)
大きな脅威が来ている。
急がなければならない。
そしてその時――
――ドクン
総身にかかるプレッシャーに草薙は歩を止める。
強大な気配。
(やはり……いるか)
薄々感じてはいた。
強力な魔物の力だ。
「これは……」
強い圧力。
悪堕ち、狂化した魔物――というレベルではない。
(このプレッシャーは……)
強大な圧力。
草薙はその敵を知っていた。
(災厄の――魔獣……)
災厄の魔獣、それは凶悪な魔物のカテゴライズの一つであり
忌名だった。
多くの悲劇と災厄を振りまいた魔物にはその脅威には
数多のカテゴライズが存在する。
その中の一つが『災厄の魔獣』。
魔獣は多くが倒されたが、ガルディゲンの支配下に組み込まれたものもいる。
危機も魔力も通常の魔物とはモノが違う。
「ひいいぃぃぃッ!?」
絶叫が響く。
恐怖に男が絶叫する。
ここに狂化した魔物がいればここに逃げた人間は一人残さず
魔物によって殺されるだろう。
風の洞窟は風守の隠し通路でもある。
(想像以上の大物だな)
だが草薙に驚きはなかった。
あのガルディゲンならそうする。
奴らは風守の人間を殺す気なのだから。
リュシオンに遅れをとる事無く、風守の人間を自分達のモノにする。
そのために、災厄の魔獣のカードを切る事もあの魔大国は
ためらはない。
(今なら通り抜けられる)
草薙の隠行なら気づかずに通り抜ける事は可能だ。
目的地の到達という目的のみを果たすのならそうするのが賢い。
戦うには……
(危険だな……余りにも)
それほどまでに災厄の魔獣は危険だ。
端的にいって異常事態。
そして予想していた事態でもあった。
放たれるプレッシャーと鬼気。
それは敵の存在の強大さを雄弁に伝えている。
ここに至って草薙は彼方の災厄の魔獣の正体を見定めた。
強い。
間違いなく危険な相手だ。
ここで中年の男とその女を助けるなどは――
(馬鹿のする事だな)
そう思う。だから。
「――早く倒そう」
瞬間、草薙は走った。
草薙悠弥は馬鹿野郎だからだ。
草薙は疾走しながら、凶の気をまき散らす魔物を見据える。
「GAAAAAAAAッ」
殺気に気づいた獣が振り返る。
草薙と獣の瞳がぶつかった。
獣のドロドロに濁った瞳には
凶気に満ちている。
災厄の魔獣――その一体。
幾多の人間を殺しそしてこれからも幾多の人間を殺す魔獣。
この魔物は日本に住まう人間を殺す魔。
草薙は認識する。
――俺の国民がガルディゲンの魔物によって殺されそうになっている。
ならば――
「――国敵討滅」
答えは明快。
国敵討滅その一択。
「――」
加速する体、躍動する魂。
詰められる彼我の距離。
草薙と国敵――魔獣の距離が縮まる。
(――助ける対象は)
中年親父。そしてその連れ合いの妻。
日本人、つまり戦う理由としては
(――十分)
草薙は駆ける。
魔獣が吼える。
草薙と災厄の魔獣との戦いが始まろうとしていた。